年末年始が嫌いだ
あっという間に2023年が終わり2024年が始まった。2023年は人生最悪の一年で、何も得ることができず、そして多くを失い一年が幕を閉じた。
若くて貴重な一年という時間を丸々失ったのだ。自分に、そして社会に憤慨している。
この間何があったかはまた別の機会に書くとして、とかく年末年始という物が人間に無駄なストレスを与えているというのが今回の主題だ。
勝手に一年という単位をつくり、時間を区切ることで人間に時の流れの残酷さ、何も成せなかった無力さを突きつけてくる。
己の生活を豊かにするため編み出した時間という概念に人間はかえって苦しめられているのだ。毎年毎年、年末年始が来るたびに己の無力さ、怠惰な性分に心底腹が立ち、日々を無駄に無碍に無意味に無価値に過ごしてきたこと、そしてこれからもそうなるであろう事実を真正面から受け止める。
年末年始という概念こそが、人間の最も見つめたくない本質を炙り出し、多くの人間に後悔と「今年こそは」という儚い期待を抱かせる。
もう年末年始はいらない。もう時間が進まなくていい。
はやく楽になりたい。はやく解放されたい。
時計の針は進まない
過去を振り返るときがある。
何十回、何百回と繰り返される記憶の反芻。
上手くいかない現実から目を背けて、戻らぬ過去に想いを馳せる。
小学生のとき、「いつかは大人になるんだろうな」とよく考えていた。
こうして授業を受けるのも、クラスのみんなに会えるのも、子供として扱われるのもあと何年だ、と物想いにふける少年だった。
中学生、高校生、そして大学生。
あっという間のときが過ぎた。
この時間の間に多くの経験をし、後悔を生んだ。
人生は後悔ばかり。
何もかも手遅れで、「ああすれば良かった」と悔やむ毎日。
同時に、楽しかったあの頃を思い出す。
友達との悪ふざけ、放課後の雑談、休日は背伸びして遠出してみたり。
刺激と新鮮にあふれた素晴らしい毎日。
自由な大学生活。
とあるゲームに熱中した四年前、毎日がお祭り騒ぎで楽しかった。
友人も多くできた。
心から趣味に熱中していた。
いつからこんなに人生がつまらなくなってしまったんだろう。
友達も、趣味も、私にはない。
残されたのは哀しい学歴コンプレックスと、死ぬまでの労働懲役。
人生をよくするためにいろんなことを頑張ろうとした。
プログラミング、資格勉強、あらゆることに手を出した。
私の人生、どうなってしまうのだろうか。
私は何を求めているのだろうか。
未来のことなんて考えたくない。
将来なんてどうでもいい。
幸せを返してください。
何気ない日常を、友達を、趣味を、全てを逆戻りさせて欲しい。
自分の中の時計の針が、あの頃のまま止まってしまっていることに気づいた。
そして、動かすつもりがないことも。
何度も何度も過去のシーンに逆戻りする。
当時とは正反対の完璧な自分を思い浮かべ、より上手くいった人生を妄想する。
もし、人生をやり直せるとしたら…。
過去にとらわれ、過去にすがり、過去を求める。
前を向けない人間に新しい道は開かれない。
「りっこ28」という存在
いつものようにwakatte.tvで学歴コンプレックスを刺激する自傷行為にふけていたとき、奇怪なチャンネルに遭遇した。
本記事のタイトルでもある、りっこ28 - YouTubeである。
その内容には衝撃を受けた。以下に、私の書ける限りで紹介をする。
チャンネルの主人公はりっこ、偏差値28の元大学受験生。
国公立大学志望の理系であった。
りっこは非常に純度の高いバカである。
その奇天烈なキャラクターは演技を疑うほどであり、本気であれば何かの病気(失礼だが知能に対して)を抱えているのではないかと思うほどだ。
しかしりっこ、妙に言葉達者である。
抑揚、リズム、言葉選び、とても偏差値28のトーク水準とは思えない。
論理的思考力は弱いようで論理が破綻した持論を展開することもあるが、やけに感情のこもったりっこの演説はどこかの自己啓発セミナーを彷彿させる。
虚言癖があり、道理に欠け、自己中心的で自身を客観視できないクズ人間であるが、不可解な要素が複雑に絡み合った「りっこワールド」は不愉快になるとわかっていても見てしまう中毒性がある。
教祖の才能が開花すれば、第二の麻原〇晃になるかもしれない。
「りっこ28」は、そんな得体の知れないモンスターを第三者である叔母が撮影したものである。
ノンフィクションで奇妙な家族関係、ときには視聴者目線に立った厳しい指摘など、「りっこ28」のブランディング、運営の舵取りをしているのは叔母で間違いないだろう。
りっこ叔母は、視聴者が求めるコンテンツ、視聴者の細かいニーズを把握している。
ニーズがあるから模試の結果を公開し、コメント欄を解放している。
叔母は非常に自然な流れで、りっこをモンスターへ昇華させた。
視聴者は叔母の用意したりっこを叩き、叔母はまた叩かれるりっこを用意する。
りっこという素で頭のおかしい危険な人間を、人工的に加工してエンターテイメントに仕上げた叔母の才能はノーベル賞ものだろう。
ホンモノのりっこ、策士の叔母。
2人の天才が生み出した日本屈指の闇が深いチャンネル、「りっこ28」をどうかご視聴願いたい。
学歴コンプレックス
久々に本ブログを立ち上げた。
無性に書きたいことがあるからだ。
タイトルのとおりである、学歴コンプレックスだ。
これほど私の心を蝕み、人生の枷となっていることはない。
偏差値40の高校に進学した15歳。勉強とは無縁の人生を歩み、青春を謳歌してきたつもりだった。
一念発起して明治大学に合格。私の最初で最後の大学受験が幕を閉じた。
本当にこのままで良かったのだろうか。
ずっと、ずっと自分の人生を誤魔化し続けてきた。
高校三年生、志望校を早稲田にして受験勉強に勤しんだあの頃。
ハイレベル受験生に憧れて、何かに頑張る自分を認めてあげたくて、私なりに必死だった。
でも本当は違う。
高校二年生の冬、大学受験を決意するには少し遅かった。
偏差値40の高校からの挑戦、国公立大学を視野に入れていたものの、スタートラインの低さと確実な現役合格を狙って最終的に数学と理科を切り捨てることにした。
つまり私は、国公立大学を受験していないのである。
この事実がまず、自分の中に大きなコンプレックスとしてある。
偏差値40の高校、進研模試偏差値35。
あまりにも世間の普通からかけ離れた立ち位置から、1年間で明治大学に合格。センター利用で法政、立教にも合格し、法政に関しては一般入試の経済学部で特待合格もした。
そんな受験結果を褒めてくれる人はたくさんいた。
たくさんいたのだが、私立文系ということでバカにされることも少なからずあった。
今まで多くの大学受験記を読んできた。wakatte.tvもたくさん見てきた。
MARCHをバカにするネット記事、ネット掲示板。
「学歴は関係ない!」と言えるほど立派な学歴も実績も持ってない私には、黙って見過ごすしかなかった。
就職とか、年収とか、どうでもいい。
学歴は努力の証、名誉なのである。
東大という言葉を聞くたびに憧れが湧き、同時に自分が惨めになる。
東大に行きたい。
無様で惨めな私の人生に、「東大合格」という華を持たせてやりたい。
20代前半、東大を目指すなら今しかないのか。
しかし、今さら東大に入ったってたかが知れている。
就職で有利になることはまずないし、一円の得もない。
参考書代、受験費用、勉強時間、全てが自己満足に費やされる。
しかも、合格する保障は一切ない。
唯一のメリットがあるとすれば、「バカにされること」がなくなることだろうか。
少なくとも、私が何かいうたびに「明治のくせに」と揶揄されるストレスはなくなるはずだ。
東大は難しい、そんなことはわかっている。
今さら目指す価値がないことも、全て自己満足だということも。
東大に合格したとしても、「学歴に囚われた哀しい人」のレッテルは免れないだろう。
それでも自分の名誉のために戦うのか。
明治大学という中途半端なブランドに見切りをつけて、日本の頂点、東大ブランドを手に入れるのか。
学歴社会が生みだした哀しきコンプレックスモンスター、その行く末を知りたい人は読者登録をして見守っていて欲しい。
【勤労の義務】は奴隷制度
本当に不幸な時代に生まれてしまったものだ。
どんな仕事、アルバイト、企業でも「がんばること、周りに合わせること、常に成長し続けること、絶対にミスをしないこと、なんでも言うことを聞くこと」を「非常に低い賃金」で求められる。
これは一概に使用者が悪いとも言えない。この国の老人があまりにも長生きをしすぎるせいで、国の中枢に関わる国家公務員どもが余りにも汚れているせいで、私たちの税金、社会保険料が不当に高いせいである。
使用する側も精一杯お金を払っているだろう、その精一杯の賃金から、ただ生きるために多くを搾取される。
100円マックや300円の牛丼で生活をつなぐ人たちが大勢いるのである。
嫌なら努力しろ、嫌なら頑張れよ、自分を変えたいなら甘えずに結果出せよ。
そんな声が、聴こえてくる。
やり直しが厳しいこの国で、未経験者は何もさせてもらえないこの国で、調和を求めるくせに切り捨てる時は非常に残酷な人間が多いこの国で、何ができるのか。
一握りの成功者は、まるで誰にでも当てはまる普遍の真理かのごとく、成功体験を美化し、我々を扇動する。
その裏では多くの敗北者、底辺が地を這いながら生きるのに必死である。
何をするにもお金がかかる。低い賃金から搾り取られる。
何かを頑張るにも必ず批判が伴う、個性を磨けと叱るくせに協調性のない人間は排他される。
満員電車、上下関係、自己研鑽、キャリア設計、努力、努力、努力、結果結果結果結果結果結果……。
何もかも狂ってしまったこの国で、ITの発達により上流階層が可視化された現代で、精神を楽にする唯一の方法。
その答えとして、「自死」を選ぶ人間が多いことに納得である。
私がこの苦しみから解放されるには、「死ぬ」しかないのだから…。
頑張らなくてはいけない社会
どうしてこうも生きづらい世の中なんだろう。
「高学歴」「資格」「即戦力としての経験」「語学」「リーダーシップ」…。
「寝る間も惜しんで勉強しろ!」「人が休んでいるうちにたくさん動け!」「行動しろ」「行動しろ行動しろ行動しろ行動しろ行動しろ」
頑張らない人間は無価値、能力のない人間は無価値、無価値な人間には払うお金も、住む家も、食べるものもない。
人並みの生活を保障してください、未経験ですが働かせてください、学歴はありませんが働かせてください…「否」。
何もない人間、何もできない人間に、与えるものなど何もない。
社会全体から、そのような強迫観念が聴こえてくる。
じゃあお前らは一体どれだけのことできるんだ?偉そうに底辺を威圧するお前らにある唯一無二の価値はなんだ?
オフィスレディを気取るクソババア、パワハラをする害悪オヤジ、コネで入社した丸ノ内OL、生まれた時から勝ち組だった高学歴サンたち、世の中ムカつく人間、上に立った「気」でいる人間があまりにも多すぎる。
もっと底辺に、もっと下の人間たちの負のエネルギーを何も知らない。
「これが資本主義だもんね」「努力をしなかった人がいけないんだもんね」
そのような言葉を、安全地帯から石のように投げかける。
生まれた時から競争を強いられ、勝手に負け組にされてきた人たちの気持ちを、何も知らない。
それは、格差の拡大するこの国において非常に脅威である。
この国では、世間から見放され、自助を強要され、もう失うものがない最底辺の人たち、「無敵の人」が多く存在する。
彼らの憎しみ…その感情の一部は私にも備わっているが…の矛先は、紛れもなく「勝った気」でいる勝ち組の人間たちである。
足元を救われるだけじゃない、生命の危機、法治国家の根本的な規範を揺るがすような「無敵パワー」を目の当たりにする日は遠くない。
膨れ上がった無敵の人たちの負のエネルギーは、必ずお前たちを地獄の果てまで追い詰める。
富の再分配、格差の是正、この国の抱える癌細胞たちは、早急に治療が必要である。