元偏差値40

誰のためでもない自分のためだけの記録

学歴コンプレックス

久々に本ブログを立ち上げた。

無性に書きたいことがあるからだ。

 

タイトルのとおりである、学歴コンプレックスだ。

 

これほど私の心を蝕み、人生の枷となっていることはない。

 

偏差値40の高校に進学した15歳。勉強とは無縁の人生を歩み、青春を謳歌してきたつもりだった。

一念発起して明治大学に合格。私の最初で最後の大学受験が幕を閉じた。

 

 

 

本当にこのままで良かったのだろうか。

 

 

ずっと、ずっと自分の人生を誤魔化し続けてきた。

 

 

高校三年生、志望校を早稲田にして受験勉強に勤しんだあの頃。

 

ハイレベル受験生に憧れて、何かに頑張る自分を認めてあげたくて、私なりに必死だった。

 

でも本当は違う。

 

高校二年生の冬、大学受験を決意するには少し遅かった。

偏差値40の高校からの挑戦、国公立大学を視野に入れていたものの、スタートラインの低さと確実な現役合格を狙って最終的に数学と理科を切り捨てることにした。

 

つまり私は、国公立大学を受験していないのである。

この事実がまず、自分の中に大きなコンプレックスとしてある。

 

偏差値40の高校、進研模試偏差値35。

あまりにも世間の普通からかけ離れた立ち位置から、1年間で明治大学に合格。センター利用で法政、立教にも合格し、法政に関しては一般入試の経済学部で特待合格もした。

 

そんな受験結果を褒めてくれる人はたくさんいた。

たくさんいたのだが、私立文系ということでバカにされることも少なからずあった。

 

今まで多くの大学受験記を読んできた。wakatte.tvもたくさん見てきた。

 

MARCHをバカにするネット記事、ネット掲示板

「学歴は関係ない!」と言えるほど立派な学歴も実績も持ってない私には、黙って見過ごすしかなかった。

 

就職とか、年収とか、どうでもいい。

学歴は努力の証、名誉なのである。

 

東大という言葉を聞くたびに憧れが湧き、同時に自分が惨めになる。

 

東大に行きたい。

 

無様で惨めな私の人生に、「東大合格」という華を持たせてやりたい。

 

20代前半、東大を目指すなら今しかないのか。

 

しかし、今さら東大に入ったってたかが知れている。

就職で有利になることはまずないし、一円の得もない。

 

参考書代、受験費用、勉強時間、全てが自己満足に費やされる。

しかも、合格する保障は一切ない。

 

唯一のメリットがあるとすれば、「バカにされること」がなくなることだろうか。

少なくとも、私が何かいうたびに「明治のくせに」と揶揄されるストレスはなくなるはずだ。

 

 

 

東大は難しい、そんなことはわかっている。

今さら目指す価値がないことも、全て自己満足だということも。

 

東大に合格したとしても、「学歴に囚われた哀しい人」のレッテルは免れないだろう。

 

それでも自分の名誉のために戦うのか。

 

明治大学という中途半端なブランドに見切りをつけて、日本の頂点、東大ブランドを手に入れるのか。

 

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