一度きりの人生
私は最近、深く悩んでいた。
自分の短い人生を振り返り、どうしようも無い後悔、取り消せない過去、他人に費やした時間…ありとあらゆる解決の出来ないストレスが、私の心を支配する。
ブログのアクセス数はどんどん上がり続けている。
早くキーボードを打たねば…しかし、何を書けば良いのだろう、と。
書きたいことはたくさんある。
言いたいことは山ほどある。
実現したい夢、理想の人生、本当にたくさん、何も成し遂げないことが。
私はまだ死ぬには早いのだ。私が、私として生まれた以上、私という人間を幸せにする義務があるのだ。
私は決心がついた。
自分のために生きよう。自分のやりたいことをやろう。
このブログはとんだ憂さ晴らし、フラストレーションの発散だ。
誰かも見られなくていい、心の毒素をデトックスするために、ひっそりと、私が社会で普通の人であるよう振る舞えるように、自分を慰めるために始めたものだ。
良くも悪くも、今や多くの読者がいる(のかもしれない)。
アクセス数だけが、常に伸び続けている。
私は、一流のブロガーになって不労所得を得ようだとか、そんな夢は見ていない。
私という人間を知ってくれる人が一定数いる、それだけ幸福を感じるのだ。
寂しい人生、裏切りの連続、人間の本質を僅か20年余りで見抜いてしまった私にとって、顔も名前もわからない人が、私のブログをひっそりと見てくれるというのは、実に嬉しいことなのだ。
互いにとってメリットは何もない、しかし私という人間を知ろうと、私のブログを読んでくれる。
利害関係のない赤の他人だからこそ、そうした本質的な欲、この人を知りたいという気概が感じられて、私は嬉しいのである。
私は自分のために生きる。
もう誰にも縛られない。
やりたいことを、やりたいように、たとえ失敗したっていい。
一度きりの人生だ、本当にもう、今この時は二度とやってこないのだ。
お金なんか稼げなくていい、友人に恵まれなくてもいい。
私はただ、自分という人間が存在した証を、この世の中に残していきたい。
私は今、たしかにここにいる。
このブログを読んでいるあなたたちも、一人の人間である。
奇妙な関係ではあるが、動機が何であれ、私のブログを読んでくれる事だけが嬉しい。
今日も何処かでお互いに、社会に揉まれ、理不尽に嗚咽しながら必死に生きているだろう。
あなたたちに好意的に見られたいとは思っていない。
好きか嫌いを決めるのはあなたたちであり、他人の好意をコントロールすることはできないのだ。
私は私らしく、本当にやりたいことをやる。
そんな私を少しでも応援してくれる人がいれば、嬉しい限りだ。
(今後はブログの更新頻度を上げて、別の活動も始めるつもりである。当ブログを起点に情報の発信を行うので随時チェックして欲しい。)
以上。(元偏差値40の明大生)